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【相内(あいのない)神社】こんな豪華な御朱印見たことない!月替わりなど期間限定のものも

目次

アクセス

所在地 〒099-0871 北見市相内町51番地
TEL 0157-37-2916
FAX 0157-57-4549

【公共交通機関を利用する場合】
・JR
石北本線相内駅下車、徒歩10分程度です。
北見駅、留辺蘂駅からの所要時間はいずれも約30分程度です。
同駅には普通列車のみ停車します。
・バス
北海道北見バス(温根湯・留辺蘂運動公園線)相内神社前停留所で下車して
徒歩3分程度です。北見停留所、留辺蘂停留所からの所要時間はいずれも
約20分程度です。

【自家用車等を利用する場合】
境内地が国道39号の北側なので、北見市市街地方面からは右手、留辺蘂町方面からは左手に位置しています。また、国道に面して駐車場入り口に看板があります。

御祭神

【天照大神(あまてらすおおかみ)】
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の娘神で、皇室の御祖神(みおやのかみ)にして太陽神。伊勢の神宮・内宮の皇大神宮にお奉り申しあげています。皇室をはじめ国民崇敬の中心とされる神様です。高天原にて田畑を耕し、あるいは養蚕、織物をされ、安定した国土を経営されたことにちなんで《国土安泰・福徳・開運・勝運》をつかさどる神とされます。

【豊受大神(とようけのおおかみ)】
稲または五穀の精霊神で、豊受大神宮(伊勢の神宮・外宮)にお奉りしています。天照大神にお食事を差し上げるお役目より「食物・飲食」を又「衣食住・商売繁昌・厄除開運・無病息災・延命長寿」を司る神として崇められています。

由来

大正10年北見市(旧野付牛町)から分村、及び翌年の大正11年に屯田第3中隊の有志相寄り木標を建立しました。祭祀を行ったのを創祀として、その後に小祠を建立し、昭和10年頃より今村2代目宮司が仏教が根強く長い伝統を持ちました。神を軽視することを憂い、自力を以って氏子を教化し、遂に昭和27年に私財と氏子よりの浄財により現在の御社殿を御造営、その後境内整備、氏子教化育成を図り、そして今日の隆盛を見るに至りました。

境内の様子


「手水舎」


「境内社・三吉神社」
この三吉神社は北見地方の秋田県人会によって、昭和10年10月15日、北見市美芳町に御造営されました。
昭和34年、北見市の区画整理の対象となり、それに伴い当神社へ御遷座されました。
三吉神社が当神社へ初めて御遷座されたときは、現在の社務所裏あたりにありました。
昭和34年に社務所が新築されると、その裏になってしまったので、秋田県人会ではさらに別な場所へお遷ししようと呼びかけ、昭和50年11月現在の地へ御遷座となりました。
北見地方秋田県人会は大正4年2月発足し、会員同士の結束力が強かったです。
その中で季節ごとに行事を行ってきましたが、会員数の減少、高齢化に伴って平成28年6月をもって解散しました。


「拝殿」


「境内社・相馬神社」

 


「忠魂碑」


敷地内には遊具がありました。


「神楽殿」
豊田神社の御社殿を流用したもので、豊田神社は明治36年、屯田兵が現役解除になったのにともない、地域の小祠として創祀 しました。春秋の二度、例祭をおこない、特に秋は土俵をつくって奉納相撲をしたり、舞台をつくって田舎芝居をしたり、仮装行列をしたりと、住民にとって、日頃の労働から解放される年に一度の楽しみとなっていました。
鎮座地は現在の西24号線の灌漑溝北側です。
今も残っているかつての御社殿は大正年間の建立。
向拝上部の彫刻が素晴らしいです。
現在地への御遷座は昭和42年でした。


鳥居から拝殿を見渡した様子

御朱印

社務所で対応していただけます。
絵付きの御朱印は御穂料800円です。
月替わりなど全部で5種類あり、その中からお好みのものを選んで書いていただくことができます。
1体につき10~15分ほど時間がかかるので、参拝前に社務所に寄って書いていただく間に参拝や散策をするといいかもしれません。
待っている間、気さくな神主さんがお話ししてくださり、待ち時間も楽しく過ごすことができました。


「月替わり 授与期間4月末日」


「渡り 授与期間9月末日」


「親子 授与期間9月末日」


「つがい 授与期間9月末日」


「桜 授与期間9月末日」

社務所


社務所受付時間 午前9時から午後5時まで


入口にはカラフルに見やすく書かれた案内板がありました。
御神礼・御守り・絵馬・御朱印の授与は社務所で対応していただけます。
御朱印の案内などが記載されています。


看板娘ならぬ看板「猫」
参拝客を見守る後ろ姿に癒されました。


御朱印と一緒にいただきました。

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